岩井正典 スーパーFJ復帰レースを無事完走で纏める。
今年の4月からGWRのマネージメントに体制変更した岩井正典は契約後、すぐに中日本自動車短期大学とドライバー契約。これは三浦健光のNeed 24からの紹介で実現した。
“学生の実習の為にドライバーを探している”と言うオファーを受け”仕事”としてレースカーに乗れる事に大変に感謝をしながらの契約締結だった。マシンはWEST 07Jと言う古い車だったが、この様に恵まれた条件で乗れるチャンスはまず無いだろうと考えて即決した。
何回かのテストをこなした後、9月日の鈴鹿クラブマンレース第戦で再デビューを果たした。
「これまで鈴鹿サーキットではフルコース・東コースでの走行経験はありましたが西コースでの経験は無く、初走行はレースウィークの金曜日から始まりました。セッションを重ねる毎に自分とマシンは着実にタイムアップしましたが、レースまでに時間の余裕は無かったので毎セッション、チームと時間の許す限り入念にコミュニケーションを取り合いました。土曜日のプラクティスではセットが決まらなくてタイムが行き詰まり、皆んなで試行錯誤しながら徐々にペースを、取り戻しました。中日本自動車短期大学の学生メカニックさんはサーキットを離れていても、常日頃に速いマシンを創り上げようと頭の中で考えてくれているのが良く分かり、何とかこれに応えようと自分を奮い立たせました。」
鈴鹿クラブマンレースは金・土がフリー走行。日曜日に予選と決勝が行われる。こうして試行錯誤しながら、日曜日のレース本番当日を迎えた。
日曜日の予選は前日の夕方に雨が降った影響もあったのか、路面のコンディションが悪かった状態でこの週末の自己ベストをマーク。
アタックするタイミングも決まり、早めの段階でスリップを利用出来たので決勝レースへのタイヤの温存も考慮し、他車よりも少ないラップ数で纏めた。結果、タイムは20番手。型落ちの古いマシンでのこの と言うタイムは非常に立派なタイムと言う他は無く、関係者からも高い評価を得られた。
そして迎えた決勝。
「決勝レースはスタートからの1周目でどれだけポジションアップ出来るかが肝心でした。」
スタートはミスする事なくまずは2台をパスし、次のブレーキングで更に1台をパス。しかしその後、右側にいた車両に軽く接触。フロントウイングが曲がってしまい序盤から厳しい状況になってしまう。最後の最後まで粘りを見せて19番手でチェッカー。
「今回のレースを通じて、以前より成長していた自分の姿を確認する事ができ、大きな収穫となった戦いとなりました。
自分のこれまでのレースを振り返ると緊張が解き放たれず、スタートも決まらず、レース中のミスが目立っていましたが今回のレースは、最後まで落ち着いての状況判断が出来ました。まだまだ、課題は沢山ありますが更に、自分を磨いていきたいと思います。今回の参戦にあたり、中日本自動車短期大学様をはじめスポンサーの方々、SNSを通じて応援メッセージを下さった方々、そして現地まで足を運んで下さった方々。本当に応援、ありがとうございました!
更に上を目指して活動を継続いたしますので、応援、よろしくお願いします。」
photo by.Masaki Handa