テディ・イップ セオドールレーシング レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングとジョイントしINDY500にカムバック

Press Release(Japanese).

2016年4月15日 マカオ発

セオドールレーシングは2016年Verizon Indy Car Seriesの3イベントへの参加が決定いたしました。トヨタ グランプリ・オブ・ロングビーチ、アンジース リスト グランプリ オブ インディアナポリスと今年で第100回目を迎え記念すべきアニバーサリーイベントとなる伝統のIndianapolis 500 mile Raceの3イベントです。

 セオドールレーシングはインディカーシリーズ 第3戦ロングビーチにてアメリカンモータースポーツの最高峰のシリーズにカムバックします。

 今回セオドールレーシングは31年ぶりにインディカーシリーズに戻るにあたり、香港で創立したこのチームはレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングとパートナシップを組み、チームのフルタイムドライバーであるグラハム・レイホールをサポートします。
 そのグラハムのチームメイトにはスペンサー・ピコットが起用され、GP of IndyとINDY 500に2カー体制で臨みます。
ロングビーチのレースは4月17日に開催されます。

 このロングビーチでのレースは以前、F1 U.S.West GPとして開催されていた時期があり、セオドールレーシングの創立者でありマカオのホテル・カジノの運営会社であるSTDMの創立者である香港のビジネスマン テディ・イップ・シニアは自分のホームレースの様に愛していたイベントでした(1976年に故ロニー・ピーターソン(マーチ761DFV)をフルサポートするところからこのレースとの関わりが始まった)。

 1981年にはロングビーチに停泊中の当時最新鋭を誇った豪華客船クインメリー号で自身の F1とインディカーを展示して盛大なパーティーを開催いたしました。
ロングビーチでのレース以降、セオドールレーシングは5月14日 GP of Indianapolis、そしてメインイベントとなるINDY500は5月29日に開催となり、これらのレースに参戦します。

 グラハム・レイホールのゼッケン15を掲げたダラーラ・ホンダは【レイホール・レターマン・ラニガン with セオドールレーシング】と言うチーム名でエントリーいたします。
2015年Verizon Indy Car Seriesでホンダエンジン搭載チームの中で優秀な成績を収めたグラハム(シーズン2勝)は、今年のINDY 500で優勝候補の一角に数えられています。
セオドールレーシングのロゴはこのグラハムのドライブするマシンと彼のレーシングスーツをスタイリッシュに飾ります。

 70年代と80年代にインディシリーズへ参加した第一期セオドールレーシングへのオマージュとして、当時と同じ赤一色に塗られたマシンはインディとセオドールレーシングの長いサクセスストーリーに新しいページを刻みます。
 テディ・イップ・シニアは1977年(初参加のドライバーはクレイ・レガツォーニ)から1984年の間にエントラント或いはスポンサーとしてインディカーシリーズに参加していました。
 1983年にはトム・スニーバーがINDY500を制覇(この年マカオでは同じくセオドールレーシングから出走した故アイルトン・セナが優勝)。

 今回のアメリカンリターンを決めたのはテディ・シニアの息子であるジュニアがその決定を下しました。彼は今後もこのパドックに父親が作ったチームが存在していく事を希望しています。
 テディ・イップ・ジュニアは2013年にマカオGPへカムバックし、通算8回目の優勝、グランプリ制覇を果たしています。

テディ・イップ・ジュニア:
A1GPワールドカップでシリーズタイトル、そしてF1フィーダー・カテゴリーのGP2/3、マカオGPで成功を収めた彼は次の様にコメントしている。

 『インディシリーズとアメリカのモータースポーツは私の父にとってとても重要であるし、色々な意味でそこは父のセカンドホームでもあったんだ。
今年のインディアナポリスは記念すべき年であるので、この様なセレブレイションな時にそこを飾るひとつとして、セオドールの名前が戻って来た事はとても大切な事だと思う。
 このレイホール・レターマン・ラニガンと組む事はとても重要な事なんだ。なぜならボビーは私の父と知己があり、また私と同じく次のジェネレーションであるグラハムもそれを引き継いで歴史のページを刻んでいく運命にある。
 このインディシリーズは常に上昇気流の中にあるカテゴリーであり、ヨーロッパのチーム・ドライバーも常に注目している。
 アジアとヨーロッパで成功を収めた私たちは次のステップとして新たにアメリカにチャレンジする事で、このボビーのプロフェッショナルなチームと共にサクセスストーリーを作っていきたいと考えている。』

ボビー・レイホール:
レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング(RLL)の創立者であり、今年INDY500の優勝30周年を迎えるボビー・レイホールのコメント。

 『セオドールレーシングのインディカーレーシングシーンへのカムバックと共に、我々と一緒にパートナーシップを組むと言う事はとても光栄な事です。
 テディ・ジュニアと彼のチームが私たちとパートナーシップを組み、チームの名前をもう一度ここへ連れて来た事に感謝しているし、またとても深い感銘を受けている。
自分はテディ・シニアと長い付き合いがあった。が、しかし私は一度もセオドールレーシングのステアリング握った事は無かった!
 以前F1やF5000で活躍していた多くのドライバー(アラン・ジョーンズやケケ・ロズベルグ、バーン・シュパン、パトリック・タンベイ等)はセオドールレーシングやテディのドライバーとして走っていた。しかし残念ながら当時の私にはそのチャンスが来なかったんだ。
 今回、セオドールレーシングが北アメリカのモーターレーシングシーンにカムバックし、そのパートナーとして私のチームが迎えたと言う事はとても喜ばしい事であり、エキサイティングしているよ。』

セオドール レーシング バイオグラフィー

セオドールレーシングはテディ・イップ・シニアが1973年に創立。
このチームで走っていたドライバーのうち、アイルトン・セナ、ミカ・ハッキネン、ケケ・ロズベルグ、アラン・ジョーンズの4名が後にF1の世界チャンピオンに輝いた。
セオドールーシングは過去にスポンサーやエントラントとして参加したチャンピオンシップはF1、インディカーシリーズ、F3、フォーミュラ・アトランティックとF5000等。
セオドールレーシングの最後のインディカーレースは1985年のポートランド。
テディ・イップ・シニアはロングビーチGPのオーガナイザーであるクリス・ブーケと共に第1回目のロングビーチのレースを開催する際のキーパーソンとして活躍した。
テディ・イップ・シニアはアメリカンレーシングを非常に好んでいて、そのレーシングキャリアはアメリカから始まっている。ボビー・アンサー等のレジェンドドライバーたちと親密な関係にあった。
ボビーは2012年に刊行されたフィリップ・ニューサム著 テディ・シニアの伝記である” From Macau to the World and back”の巻頭言を執筆している。
1989年のマカオGPにおいてマカオレースオブチャンピオンズを開催し、テディはボビー・レイホールを含む数名のインディカードライバーを招待した。
テディ・イップ・ジュニアは2013年にセオドールレーシングを復活させて、その年のマカオGPを制覇した。そして2015年にフェリックス・ローゼンクビストを起用し、通算8回目のマカオGP制覇を成し遂げた。
テディ・イップ・ジュニアはセオドールレーシングのインディカーカムバックにとても情熱的で、これからもパートナーシップを拡大していきたいと考えている。
テディ・イップ・シニアは1982年にジュニアが産まれたその時、ちょうどインディ500の真っ最中でその誕生に立ち会っていなかった。

レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング(RLL)について

RLLはオハイオ州とインディアナ州にあり、3回のインディカーシリーズタイトルを獲得している。1986年インディー500のウィナーであるボビー・レイホール、元CBSのTVタレントであるデビッド・レターマンとMI-JACKのオーナーの一人であるマイク・ラニガンの3人のオーナーシップでチームを運営。
2016年はチームの25年周年の記念すべき年で、通算22回の優勝を記録。
2004年インディ500のバディ・ライス(ポールtoウイン)、29回のポール、87回のボディウムフィニッシュと1992年のシリーズチャンピオン。
2009-2013年アメリカン・ル・マン・シリーズに参加。
当時はBMW team RLLとして活動。 2010年にGTクラスのマニュファクチャラーとチームチャンピオンを獲得。
2011年は3つのGTタイトル。2012年はチームチャンピオンシップ/マニュファクチャラー3位、2014年はチュードルユナイテッドスポーツカーチャンピオンシップへ移行し2カーで参戦。6回のボディウムフィニッシュ(うち2回の2位)、2015年は3回の優勝、2ポール、8回のボディウムフィニッシュでマニュファクチャラー、チーム、ドライバー共に2位。
合計13回の優勝、20回のポール、57回のボディウムフィニッシュを記録。


アットコンタクト